べるぜバブについての妄想とか感想とか。たまにイベント情報も。
本当かどうか、わからないことで、私は公式で発表されるまで、そんな噂で、べるぜのこと悪く言われたり、興味本位で語られたくない。
原作の最初っから好きで読んでるから、そのことは別に私にとっては残念ではあるけれど、そういうご時世ならそれはそれで、仕方ないかもしれないと割り切れる。
それよりも、描いている先生や、アニメを作っている方たちが、制作の意図に反したことで規制を受けるかもしれないということのほうが、もっと大きく、深く悲しい。
(以下、長くなって、かつ読みにくいカンジなので折り畳んでおきます。私エアジャンプとエアアニメの腕を鍛えておこうと思うんだ!)
原作の最初っから好きで読んでるから、そのことは別に私にとっては残念ではあるけれど、そういうご時世ならそれはそれで、仕方ないかもしれないと割り切れる。
それよりも、描いている先生や、アニメを作っている方たちが、制作の意図に反したことで規制を受けるかもしれないということのほうが、もっと大きく、深く悲しい。
(以下、長くなって、かつ読みにくいカンジなので折り畳んでおきます。私エアジャンプとエアアニメの腕を鍛えておこうと思うんだ!)
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明るくバカバカしい、困ったことに巻き込まれている、不良というほど不良じゃない暴れん坊の男鹿と悪魔の王子様ベル坊のお話。
べるぜのお話のどこに、今回の震災の被災者の方々を傷つけるような意図があるだろう。
どこにもないよ。
どこを見たって、ゆるく、楽しく、いい加減で、呑気で、時にシリアスで、でも日常で、ケンカばかりしてる頭の悪い子ばかりの、そういうエンターテイメントを目指した作品だよ。
誰かを傷つけたいという意図はどこにもないよ。
それを見て、傷つくかもしれない、そういう人がいるかもしれないと言われて、下げるしかないのなら、それはもう世間の意見が強いんだろう。
でもね、例えば、ピカソのゲルニカといったような大作は、戦争そのものを描いているけど、それはそれで認められているよね。あれを見て、飾るなっていう人はいないよね。
原爆の図っていう丸木夫妻の絵だって、相当トラウマになるくらい怖いよ。だけど、それを見て怖いと思ったとしても、それで文句言う?
その怖さ、恐ろしさを表したい絵だから許されているの?
ならさ、エンターテイメントを目指したマンガで、誰も傷つけるような意図もなく、むしろ日々どれだけ楽しくできるかを追求されてる先生のマンガのアニメへの扱いの、その理由がわからない。
怒るならそれをさせた世間にだけれど、でも今どの人も非常事態で、頭が少しいつもと違う動きをしている。
色々なものが中止になって、前にビートたけしが、映画なんてやれるのは平和だからだよって言っていたんだけど、文化や娯楽がどんどん、自主規制という形で、消えていく。
文化を否定した国が、中国だったりするけど、統制されたり、許された表現しか出来なくなっていったとしたら、それはどれだけ怖いことだろうと思う。
日本の憲法では、言論の自由、思想の自由は保障されている。
誰もが、自分の気持ちを自由に話す権利はある。表現の自由はある。
だけどそれをじわじわと狭めているこの今の雰囲気こそ、気持ち悪いものだと私は思う。
仮にもしアニメが当分放送されなくても、
田村先生やアニメに関わる方達がどれだけ心を痛めていらっしゃろうと、
作品というものはすでに存在して、人を惹き付けているのだから、それを信じて今は、規制しようとする世間に対して答えを見せられるようなものを、作っていってほしい。
一ファンとして、それをただひたすら望む。
噂で終わればいいけれど、でも噂が流れるくらいは、人がそんなように見ているのだから、やはり作品の力で納得させるしかないと思う。
今すぐは無理でもいつかは。
私の心も荒れているので、勢いで書いてしまったけれども。
大事なことは、べるぜはべるぜであってほしい。
妙な方向転換したり、萎縮したりしないで、相変わらずのゆるいギャグとアホさと時々シリアスで、男鹿たちがのびのびと動いていたらいいなあと思う。
そして表現は、時に現実との闘いになったりもする。
私はスペインのフランコ政権下で銃殺された詩人ロルカが好きだ。彼の本はスペインでは長く発禁処分を受けていた。
ただの詩に、殺されるような理由はあったんだろうか。
言葉、思想の断片に、フランコはなぜそんな反応をしたんだろう。
言葉には力がある、きっと。
思いには力がある、きっと。
芸術には力がある、きっと。
都条例とかもそうだけれど、表現のための闘いというものは終わりがないのかもしれない。
べるぜのお話のどこに、今回の震災の被災者の方々を傷つけるような意図があるだろう。
どこにもないよ。
どこを見たって、ゆるく、楽しく、いい加減で、呑気で、時にシリアスで、でも日常で、ケンカばかりしてる頭の悪い子ばかりの、そういうエンターテイメントを目指した作品だよ。
誰かを傷つけたいという意図はどこにもないよ。
それを見て、傷つくかもしれない、そういう人がいるかもしれないと言われて、下げるしかないのなら、それはもう世間の意見が強いんだろう。
でもね、例えば、ピカソのゲルニカといったような大作は、戦争そのものを描いているけど、それはそれで認められているよね。あれを見て、飾るなっていう人はいないよね。
原爆の図っていう丸木夫妻の絵だって、相当トラウマになるくらい怖いよ。だけど、それを見て怖いと思ったとしても、それで文句言う?
その怖さ、恐ろしさを表したい絵だから許されているの?
ならさ、エンターテイメントを目指したマンガで、誰も傷つけるような意図もなく、むしろ日々どれだけ楽しくできるかを追求されてる先生のマンガのアニメへの扱いの、その理由がわからない。
怒るならそれをさせた世間にだけれど、でも今どの人も非常事態で、頭が少しいつもと違う動きをしている。
色々なものが中止になって、前にビートたけしが、映画なんてやれるのは平和だからだよって言っていたんだけど、文化や娯楽がどんどん、自主規制という形で、消えていく。
文化を否定した国が、中国だったりするけど、統制されたり、許された表現しか出来なくなっていったとしたら、それはどれだけ怖いことだろうと思う。
日本の憲法では、言論の自由、思想の自由は保障されている。
誰もが、自分の気持ちを自由に話す権利はある。表現の自由はある。
だけどそれをじわじわと狭めているこの今の雰囲気こそ、気持ち悪いものだと私は思う。
仮にもしアニメが当分放送されなくても、
田村先生やアニメに関わる方達がどれだけ心を痛めていらっしゃろうと、
作品というものはすでに存在して、人を惹き付けているのだから、それを信じて今は、規制しようとする世間に対して答えを見せられるようなものを、作っていってほしい。
一ファンとして、それをただひたすら望む。
噂で終わればいいけれど、でも噂が流れるくらいは、人がそんなように見ているのだから、やはり作品の力で納得させるしかないと思う。
今すぐは無理でもいつかは。
私の心も荒れているので、勢いで書いてしまったけれども。
大事なことは、べるぜはべるぜであってほしい。
妙な方向転換したり、萎縮したりしないで、相変わらずのゆるいギャグとアホさと時々シリアスで、男鹿たちがのびのびと動いていたらいいなあと思う。
そして表現は、時に現実との闘いになったりもする。
私はスペインのフランコ政権下で銃殺された詩人ロルカが好きだ。彼の本はスペインでは長く発禁処分を受けていた。
ただの詩に、殺されるような理由はあったんだろうか。
言葉、思想の断片に、フランコはなぜそんな反応をしたんだろう。
言葉には力がある、きっと。
思いには力がある、きっと。
芸術には力がある、きっと。
都条例とかもそうだけれど、表現のための闘いというものは終わりがないのかもしれない。
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